平成20年1月15日 Introduction to Multiple Intelligences Theory with Personal views マルティプル・インテリジェンス理論の概要と私的考察 訳・編集 上條雅雄 −はじめに 「マルティプル・インテリジェンス理論:Multiple Intelligences Theory」(MI) は1983年に、恩師ハワード・ガードナー教授著Frames of Mindによって紹介された。ハーバード大学教育学大学院のプロジェクト・ゼロの諸研究にはこの理論が底流に流れていると私は思う。2003年に始まったSSTAのProject Zero Classroom, Harvard Graduate School of Educationにおける海外研修プロジェクトの立ち上げに参画し、その時に「理解のための教育:Teaching for Understanding」(TfU)の概要に関して纏める機会を得たが、昨年恩師から届いた サイン入りの最新著Multiple Intelligences ?New Horizons- を読む機会があり、今回はこの最新版MI理論書に基づいて個人的考察も少し加えて原書への導入編として、抜粋し、概要の訳と編集を試みた。長年にわたる理論の導入後の反応や、最近の脳医学の研究に基づいたこの理論を支える科学的な根拠、事例などの情報が入り、一層と深みが出てきたようである。詳細に関しては是非、原書も参照して頂きたい。 ☆☆☆**目次**☆☆☆ −はじめに I. マルティプル・インテリジェンスとは II. 何がインテリジェンスを構成するか。: What Constitutes an Intelligence? インテリジェンスとは、個性とは マルティプル・インテリジェンスの基準:The Criteria for Multiple Intelligences III. 一組のインテリジェンス: The Set of Intelligences 音楽インテリジェンス:Musical Intelligence 運動感覚インテリジェンス:Bodily-Kinesthetic Intelligence 論理-数学インテリジェンス:Logical-Mathematical Intelligence 言語インテリジェンス:Linguistic Intelligence 空間的インテリジェンス:Spatial Intelligence 対人関係インテリジェンス:Interpersonal Intelligence 内省的インテリジェンス:Intrapersonal Intelligence 新たに加えたインテリジェンス Newly Identified Intelligence 博物学者的インテリジェンス:Naturalist Intelligence IV. インテリジェンスとドメイン:Intelligences and Domains V. 理解へのマルティプル・エントリー・ポイント: Multiple Entry Points to Understanding 説話的EP : Narrational Entry Point 論理的EP: Logical Entry Point: 根拠的EP: Foundational (or Existential) Entry Point 審美的EP:Esthetic Approach 経験的EP:Experiential Approach 共同制作EP:Collaborative Approach EPとその活用効果 −おわりに References ☆☆☆*****☆☆☆ I. マルティプル・インテリジェンスとは ネットワーク社会が急速に変化している。技術の進化がそれを支えているが、「その中心はあくまでも人間」であるべきであると私は思う。ガードナーは人間の能力の開発について、次のように述べている。 Multiple Intelligences(マルティプル・インテリジェンス)は有用なメディアや資料、手段によって供される。 教育者自身の好みのスタイルには関係無く、異なる知性(複数)又は知性(複数)の組み合わせに話しかける教育資料が導入され得る。実際、将来“同一の”教科コンセプトまたはフレームワークへの、まったく個人毎のアプローチを各学生へ供することが可能になるであろう。 全ての人々のintelligence(知性)の開発は我々の時代の基本的な目的でなければならない。平和、民主主義,世界中の自由を保証するために個人の、あらゆる市民の知性の開発が世界の全ての国の国家的ゴール、全世界のゴールにならなければならない(Gardner, Choice Points. 1993)。 インテリジェンスとは、個性とは ガードナーはFrames of Mind(1983)の中で「人間には7つのintelligencesがあるというMI理論」を提唱した。ガードナーは「インテリジェンス(知性)とはある一定の方法でインフォメーション(情報)を処理する生物心理学的潜在力であり、この潜在力はある文化において価値があると認められている問題を解くとか、価値がある成果を生み出す時に、その文化的背景において活性化される。」と定義する。“Intelligence is the bio-psychological potential to process information in certain ways that can be activated in a cultural setting to solve problems or make products that are valued in a culture(Intelligences Reframed.34).”その後ガードナーは7つのintelligencesに、もう一つintelligenceを加え、現在8つのintelligencesの存在を確認している。MI理論によれば、個々人には、8つで構成される一組のintelligencesが備わっているが、それぞれのintelligenceの強さは人によって異なる。また、intelligencesは学び得るものであり、人はより賢くなり得る。言い換えると我々のインテリジェンス プロファイルは変化する。 さらにある特定のインテリジェンスが幾つかの領域(domain:例えば、物理学、料理、チェス、音楽演奏)の中に現れる。どんな領域も、いくつかのintelligencesによって実現される(Gardner, 1999, p82)。 U 何がインテリジェンスを構成するか。:What Constitutes an Intelligence? マルティプル・インテリジェンス理論は伝統的なコンセプトを複数形にする。インテリジェンスは計算力量−ある種の情報を処理する力量−で、人間生物学、人間心理学から生じる。人間はある種のインテリジェンス(複数)を持つ、ところが、ねずみ、鳥やコンピュータは他の種の計算力量を前面に出している。インテリジェンスはある特定の文化的背景や社会において重要な問題解決をする、または重要な成果を創造する能力を意味する。問題解決スキルは目標に達する状況に近づかせるか、その目標への適切なルートをつきとめさせる。文化的プロダクツの創作は知を取り込み、または自身の結論、信念、感情を表現する。解決される問題はストーリー創り、チェスの詰めの予測から、キルトの修理まで多岐にわたる。プロダクツも科学理論から音楽作曲、成功した政治キャンペーンにまで多岐にわたる。 MI理論は各々の問題解決スキルの生物学的な源を考慮し組立てられている。人類にのみ普遍的なこれらのスキルが考えられている(繰り返すが、ねずみ、鳥、コンピュータは異にする)。そうではあるが、特定の問題解決に関係するための生物学的傾向はそのドメインの文化的、後天的な因子と結びつけて考えなければならない。例えば、言語の普遍的なスキルは、ある文化では文書として、他の文化では雄弁術として、また次の文化ではアナグラム(逆綴り)または、早口言葉から成る秘密言語として出現するかもしれない。 生物学に根ざしひとつ以上の文化的背景において価値あるとされるインテリジェンスをもし、選べることが出来るとしたら、人はどのようにそのインテリジェンスを特定するだろう。リストをもとに、私は色々なソースから実証を再確認した。通常の脳の発達や天才児における発達、脳損傷下の認知的スキルの断絶に関する情報、天才・大学者・自閉症児などの例外的な人達の研究、数千年にわたる認知科学の進化についてのデータ、異文化間の認知的根拠、計量心理学の研究、心理学トレーニングの研究等。全てを満足するか、ほとんどの基準を満足するインテジェンスの候補のみが真のインテリジェンスとして選ばれた(Gardner, 2006, pp6-7)。 ■注記:読者の理解のために、念のため、要参照項目として挙げられている下記の重要事項を箇条書きとしてここに抜粋する。 マルティプル・インテリジェンスの基準:The Criteria for Multiple Intelligences 基準を導入するひとつの方法は、それらを学問的な背景に従ってグループに分けることである。 まず、生物科学から、ふたつの基準が出来た。 1 脳損傷による孤立の可能性:The potential isolation by brain damage 2 進化の歴史と進化的妥当性:An evolutionary history and evolutionary plausibility 論理学的な分析から、他のふたつの基準ができた。 3. 識別できる(ひとつまたは一組の中核的操作): An identifiable core operation or set of operations 4 シンボル体系による記号化の可能性:Susceptibility to encoding in a symbol system 発達心理学から、ふたつの基準が出来た。 5. 固有の発達歴をもち、熟達者の「最終状態」の運用ぶりを明確に取り出すことができること:A distinct developmental history, along with a definable set expert “end-state” performances in “in the raw” 6. サヴァン,天才児、および他の特殊な人々の存在:- The existence of idiot savants, prodigies, and other exceptional people 伝統的な心理学的研究から、最後のふたつの基準が引き出された。 7 実験心理学的課題からの支持:Support from experimental psychological tasks 8 精神測定学の見地からの支持:Support from psychometric findings (Gardner, 1999, pp33-41)。 V 一組のインテリジェンス: The Set of Intelligences 音楽インテリジェンス:Musical Intelligence Yehudi Menuhinが3才の時彼の両親はサンフランシスコ・オーケストラのコンサートにこっそり彼を連れ込んだ。Louis Persingerのヴァイオリンは幼い子供が我を忘れるほど感じさせたので彼は誕生日にヴァイオリンとLouis Persingerを先生として、とせがんだ。10才になるまでにMenuinは国際的な奏者になった(Menuin,1977)。 ヴァイオリン奏者Yehudi Menuhinの音楽インテリジェンスそのものは彼がヴァイオリンに触れ音楽の訓練を受ける前に現れていた。彼の力強い特別の音に対する反応と楽器演奏における早い進歩は彼が、生物学的に何らかの方法の音楽生活の準備が出来ていたことを示唆する。Menuhinはある特別のインテリジェンスに生物学的関連性があるという主張を支持する天才児達からの実証の一例である。自閉症の子供のように楽器を上手に弾くことが出来るが、情報などを伝えることが出来ない他の特別な人達も、音楽インテリジェンスの独立性を強調する。 この根拠をもう少し考慮すると音楽スキルはインテリジェンスのための他のテスト(複数)に合格することを示唆する。例えば脳のある部分は知覚作用と音楽制作、上演などの重要な役割をする。これらは特徴として、明確に右脳半球に置かれているが、音楽スキルは自然言語のように脳内で明確には位置づけされていない。脳障害がある場合に音楽能力の特別な感受性にどのような影響があるかは、トレーニングの程度と、他の個人的特長によるが、失音楽症や音楽能力の選択的損失が起こる明確な根拠がある。 音楽は石器時代(Paleolithic)において、社会を一つにする重要な役割を明らかに果たした。鳥のさえずりは他の生物とのきずなの役を果たした。音楽は普遍的な才能であるという考えは、色々な文化でその実証を確認できる。幼児の成長の研究によれば、初期の児童期に“未熟な”計算処理能力(computational ability, 例えば、自分に必要な母言語コードだけを残すような)があるという。最後に音楽記号は分かりやすい、多用途のシンボル・システムである。簡潔に言うとひとつのインテリジェンスとして、音楽能力の理解を支持する根拠にはいくつかの出典がある。音楽スキルは数学のように知的スキルとは典型的には考えられていないが、我々の基準ではその資格がある。当然、考慮される価値がある。データから見ても、それを含めることは経験的に正当化されている。 運動感覚インテリジェンス:Bodily-Kinesthetic Intelligence 15才のBabe Ruthは彼のチームが完敗をした時にキャッチャーだった。Ruthはぶっとふき出し、ピッチャーを大声で非難した。コーチのBrother Mathiasは「ようし、George、お前が投げろ」と呼び出した。Ruthはあ然とし、落ち着かなかった。「私は今までに投球したことがない…投げることは出来ない」それは変化の瞬間であったとRuthは彼の伝記で思い出している:「しかし、ポジションにつくと私は私自身とピッチャーズ・マウンドとの妙な関係を感じた。私はあたかもそこで生まれたかのように、これが自分にとって家のように感じた」スポーツの歴史が証明するように彼はやがてメジャーリーグの偉大なピッチャーとなった(そして、もちろん、打者としての伝説的な地位に達した)(Ruth, 1948, p.17)。 MenuhinのようにBabe Ruthは天才であり、正式なトレーニングを受ける前に、それに最初に出会った時から即、彼の「武器」を認識した。 体の動きのコントロールは運動野に置かれ、各々の(脳の)半球が反対側の体の動きを支配またはコントロールしている。右利きの人の体の動きを支配する機能は通常左の半球にある。何らかの動きをするように指図された時、それを実施する能力は同じ動きを反射的に行うかまたは、非自発的に行うかによって弱まる。Apraxia (運動失行など)の存在は運動感覚インテリジェンスの根拠の一線を構成する。 特定の体の動きの進化は生物にとって有利であり、人間においてもツールの使用によりこの適用は広がっている。子供における体の動きははっきりとした成長上の時間表を辿る。また諸文化を通して普遍性があると言える。こうして、運動感覚「知」はインテリジェンスとしてのいくつかの基準を満足する。 運動感覚知を「問題解決」として考慮すると、ちょっと直観的ではわからない。確かにマイム・スクエア・ダンスやテニスボールを打つことは数学的方程式を解くことではない。そして、さらに感情を表すために(ダンスの中で)、ゲームをするために(スポーツにおいて)、または新商品を創るために(発明を案出する時)自分の体を使う能力は体の使用の認知科学的特徴の実証である。特定の運動感覚問題を解くために必要な計算はTim Gallweyにより要約されている。 いかにどこへ足を運ぶかそして、ラケットをフォーハンドにするか、バックハンドに するか、脳はボールがサーバーのラケットを離れる一秒の何分の一かの内にほぼどこに着地するか、そしてどこでラケットが受けるかを計算しなければならない(以下、略)(Galley, 1976, p33-34) 論理-数学インテリジェンス:Logical-Mathematical Intelligence 1983年にBarbara MacClintockは彼女の微生物学に関する研究で、医学・生理学部門でノーベル賞を受賞した。彼女の推論した知力と観察力は論理-数学インテリジェンスの一つの形を実例として説明しており、しばしば「科学的思考」として呼ばれる。ある出来事が特にそれを照らしている。1920年代にCornellの研究者だったある日、Maclintockはある問題に面した。トウモロコシの花粉不稔性は理論的には50%と予言されるが、研究助手(「現場」)の調査結果ではわずか25-30%の花粉であった。この差で不安になったMcClintockはコーン畑を去り自分のオフィスに戻り1時間半ほど座って考えた。 突然、私は飛び上がってコーン畑に走って戻った。畑の上で叫んだ「Eureka、分かったわ。30%の花粉が何を意味するか。」彼らは私にそれを証明するよう求めた。私は書類バッグと鉛筆を持って座り、一番最初から始めた。それは研究所でまだ全然やってなかった。今度は一歩一歩やった−それは複雑なステップの連続だった−私は『同じ結果』に行きついた。彼らは資料を見たそして、それはまさに私が図表化したように、言った通りの結果となった。さて、何故、紙に書かないで私は分かったのだろう。何故、私はそれほど確かだったのだろう(Keller, 1983, p.104) この逸話は論理-数学インテリジェンスの2つの重要な事実を示している。まず、天分豊かな人の問題処理はしばしば非常に速い−成功した科学者は同時にいくつかの変数と取り組み、数多くの仮説を創る、それらは各々評価され、その後、順次に受け入れるか、拒絶される。この話はこのインテリジェンスの、言語を用いない本質も強調する。問題の解決はそれがはっきり表現される前に組み立てることが出来る。実は解決過程は全然見えていないかもしれないが、しかしながら、この種の発見をする−「はっは!(aha!)」−これは神秘的であり、直観的、または、予測不能である。ある人々(例えば、ノーベル賞受賞者)にこれが頻繁に起こるという事実は他の普通の人には起きないことを思いつかせる。この現象は論理-数学インテリジェンスの効果であると解釈する。 言語スキルの相手役として、論理-数学インテリジェンスはIQテストの主たる成分をなす。この形のインテリジェンスは伝統的心理学者達によって徹底的に研究されてきた、そしてこれは典型的な「生の(未加工の)インテリジェンス」または(複数の)領域(ドメイン)*(V Intelligences and Domains を参照)を横切るとされている問題解決能力である。多分、皮肉になるかもしれないが、人が論理-数学的問題の解決に達する実際のメカニズムはまだ良く理解されていない−そして、McClintockによって述べられたこのような飛躍的な過程は神秘的に存続する。 論理-数学インテリジェンスは経験主義の基準にもよく支持される。脳のある分野は他の分野より数学的計算に特化されている。最近の実証によると、前頭側頭葉の言語野は論理的推論、頭頂葉の視覚野は数値計算により重要である(Houde & Tzourio-Mazoyer, 2003)。計算の離れ業をするが殆どの他の分野では悲劇的なまでに欠陥のある特殊能力者や数学の子供の天才が沢山いる。このインテリジェンスの発達に関してはPiagetや他の心理学者によって詳述されている。 言語インテリジェンス:Linguistic Intelligence T.S.Eliotは10才の時にFiresideという雑誌を単独で創った。冬休みに3日間で8冊の完全版である。各々には詩、冒険ストーリー、ゴシップ・カラム、ユーモアなどが掲載されていた。この資料のある部分は残っていて、詩の才能を表している(Soldo, 1982)。 言語スキルとも呼ばれるインテリジェンスは伝統的心理学者の立場では、論理的インテリジェンスとともに不変である。言語的インテリジェンスは経験的テストにも合格する。例えば、脳の特定の分野、ブローカ野(Baroca’s area) は文法的な文章を作る役割を持つ。ここに損傷を負うと言葉や文章を十分に理解できても、ごく単純な文章以上に言葉を繋げたりすることが難しくなる。その他の思考処理は全く影響されない。 言葉の才能はどの文化においても普遍的で子供たちは急速且つ健全に言語能力を発達させる。聴覚障害者で手話が明確に教えられていなくとも、子供たちは彼ら自身の手作り言語を発明し、内々に使用する。このようにして、私たちは、いかにインテリジェンスが独立して、特定の入力形態または、出力路で働くことを見ることができる。 空間的インテリジェンス:Spatial Intelligence 南太平洋キャロライン諸島付近の航行は器機を使わず地元の船員によって行われる。星の位置、島からの位置、天気図、海水の色などが主たる道標である。それぞれの航海は一連のセグメントになり、航海士はこれらのセグメントの各々において、星の位置を知る。実際の航海で航海士はある星の下を通過する時に心の中で参照する島を描かねばならない。その島を心に描くことにより、完了したセグメントの数、残りの航海の部分、そして、この先のいかなる修正をも計算する。航海士は航海中に島々を見ることが出来ない代わりに航海図を心の地図上に、それらを写像するのである(Gladwin, 1970)。 空間的問題解決は航海、航行や地図の使用のために必要とされる。空間的問題解決の他の種類には、物体を異なる角度から目に見えるようする時、チェスをする時等がある。視覚芸術においてはこのインテリジェンスを空間の使用において利用する。 脳の研究からの根拠は明白で説得性がある。左大脳皮質の中央部にある領域は右利きの人の言語処理サイトとして選ばれており、右大脳皮質の後部は空間的処理のための最も決定的な野となる。この部位への損傷は自分の行き先を探したり、顔、光景、を認識したり、微妙な詳細に気付く能力を害する。 視覚障害者は空間知性と視覚的認識の間の区別を証明する。彼らは非視覚的方法により形を認識できる。物体の輪郭に沿って手を動かすことを、動きの時間の長さに翻訳し、それが物体の大きさや形に翻訳される。彼らにとって触知出来る様式(モダリティ)の認識システムは目の見える人の視覚的モダリティに対応する。視覚障害者の空間的推論と聴覚障害者の言語的推論の類似は注目に値する。視覚的芸術家の中に子供の天才は殆どいないが、Nadia(Selfe, 1977)のような特殊能力者がいる、幼稚園児で重い自閉症にもかかわらず注目すべき描写精度と手腕の線画を作成した。 対人関係インテリジェンス:Interpersonal Intelligence 特別教育の正式訓練を殆ど受けずに、自身もほとんど盲目なAnne Sullivanは盲目で聴覚障害の7才のHelen Kellerを教育する驚くべき仕事を始めた。意思疎通上のSullivanの努力は子供を取り巻く世の中と彼女の感情的戦いにより複雑にされていた。彼らの始めての食事でこのシーンが起きた。 Helenは家族とはそうする習慣になっていたが、Annieは彼女がAnnieの皿に手を入れ、彼女が欲しいものを取ることを許さなかった。それは意志のテストになった−皿に突っ込んだ手、横に堅固に置かれた手。家族は気を転倒し食堂を去った。Helenが床に転がり蹴飛ばしたり、大声をだし、彼女の椅子を押したり、引いたりする中、Annieはドアに鍵をかけ自分の朝食を進めた。Helenは誰もそばに居ないことに気付き、それは彼女をうろたえさせた。とうとう彼女は座り朝食を食べはじめた、手で。Annieは自分でスプーンを取った。それは下の床に音を立てて落ちそして、意志の争いは新たに始まった(Lash, 1980, p.52)。 Anne Sullivanは子供の行動に敏感に反応した。彼女はと書いた 「私が解決しなければならない最大の問題は彼女のきげんを壊さずにいかに彼女を訓育し、管理するかである。最初はむしろゆっくりと彼女の愛を得ようとすることである。」事実、最初の「奇跡」は2週間後に起こった、有名なポンプ小屋での事件のずっと前だった。AnnieはHelenをファミリー・ハウスの近くの彼らだけで住める小さな小屋に連れて行っていた。7日間一緒に過ごした後で、Helenの個性が急に変化した−治療が効いた。「今朝、私のハートは喜びの歌を歌っている。奇跡が起こったのだ。2週間前の野生の小さな生き物が優しい子供に変わった」(Lash, 1980, p.54)。 へレンが言葉を理解し出した最初の関門はこの後ちょうど2週間だった。そして、それからは信じられないほどの速さで彼女は進展した。言葉の奇跡はAnne Sullivanの人間Hellen Kellerへの洞察力であった。 対人関係インテリジェンスは他人達との間の差異に気付く核となる能力の上に基礎を置き、−特にその雰囲気、気質、意欲や意思を対比する。もう少し進んだ形では、このインテリジェンスは熟練した大人が他人の意思や欲望を、それらが隠されていても、読むことを可能にする。このスキルは宗教や政治的リーダー、セールス、マーケッター、教師、セラピストや両親において、高く洗練された形で現れる。The Helen Keller-Anne Sullivan物語はこの対人関係インテリジェンスが言語に依存しないことを示唆する。脳医学のあらゆる指標は前頭葉が対人関係知における顕著な役割を果たすことを示唆する。この分野への損傷は他の問題処理の形を損ねることなく、重大な個性の変化を起こす可能性がある−そのような損傷の後、人はしばしば「同じ人」ではない。 アルツハイマー病は認知症の一種であるが、脳後部を特別な残忍性をもって冒すようで、空間的、論理的、言語的計算をひどく害する。しかし、アルツハイマーにかかった人達はしばしばちゃんと身支度をし、社会的作法にかなっており、誤りに対しては絶え間なく謝罪的である。ピック病(Pick’s disease)はその変種でより前部の大脳皮質に限定され、急速に社交場のたしなみを失うことになる。 対人関係インテリジェンスの生物学的実証はしばしば引用される人間独特の2つの追加要素を包含する。まず、霊長類動物は他の生物より長い幼少期に、母親に密接に愛情で結ばれている。母親(または代行者)がない場合、通常、対人関係の発展は重大な危険にさらされる。2つ目の要素は社会的相互作用における人の重み(地位) の重要性である。有史以前の社会の狩猟、追跡、捕獲のようなスキルは多くの人達の参加、協力を必要とした。集団結合力の必要性、リーダーシップ、組織、団結は自然にこれに倣っている。 内省的インテリジェンス:Intrapersonal Intelligence 「過去のスケッチ」と呼ばれるほとんど日記のように書かれた随筆の中でVirgina Woolfはthe ”cotton wool of existence”「現存の綿花」(色々な人生の日常的な出来事)について論じる。彼女はこの綿花と彼女の幼少期からの3つの特別な痛切な思い出:兄のとの喧嘩、庭のある特別の花、過去の訪問者の自殺を対比する。 これらは3つの例外的な瞬間の例である。私はそれらについてくりかえして話し、またはそれらは予期せずに頭の中に浮かび上がる。しかし、今私はそれらを書き下ろし、今までしなかったことを実現した。これらの内のふたつの出来事は絶望の中に終わった。一方は反対に満足に終わった…。恐怖の意識(自殺と聞いたこと)が私を無力にした。しかし、花の場合、私は理由を見出し、こうして感動を処理することが出来た。私は無力ではなかった…。私はこのような急なショックを受ける、今はそれらをいつも歓迎する、そして、初めての驚きの後、いつもそれらは特に価値があるとすぐに思う癖が私にはまだある。ショックを受ける力量が私を作家にしたと私は思い続けている。私の場合、ショックが直ちにそれを説明したいという欲望になると言えるかもしれない。自慢したように感じるがそうではなく、子供として思ったように、日常生活における綿花の陰に隠れた敵の子供からの単純なひと吹きである。これはちょっとした暴露になるかもしれない、これは表に出ないある真実の証拠であり、それを私は言葉にし、現実とした。(Woolf, 1976, pp.69-70) この引用文は内省的インテリジェンスを鮮明に描写する−人の内的側面の知性、自分自身の感情生活への接近、自分の感情域、これらの感情間を識別し、理解の手段と自身の行動を統治するためにこれらを結局は分類する力量。良い内省的インテリジェンスの持ち主は実行力のある、実際的な彼または彼女の−その人に精通し、注意深い観察者により、組み立てられた特徴を首尾一貫して持つような−モデルを持つ。観察者が仕事中に探知するには、このインテリジェンスは最も個人的で、言語、音楽または他のもっと表現力に富む形のインテリジェンスを必要とする。上の引用は例えば、言語インテリジェンスが活動中の内省的知を観察する媒体として働いている。 我々は内省的インテリジェンスに同様な基準が作動しているのを見る。対人関係インテリジェンスは人間性の変化において前頭葉が中心的役割を果たす。前頭葉の下側に損傷を持つと刺激過敏性や多幸症になりがちであり、一方上部への損傷は無関心、ものうげ、鈍感、無感動のような憂鬱な個性を生みがちである。前頭葉の損傷を持つ人はしばしばその他の認知的機能は維持される。対照的に、その経験を述べるほど十分に回復した失語症の人の中に、その証拠を見出す。けれども体調に関する一般的な警戒や衰弱は減少し、個人が自身を他人のように感じることは決してない。彼は自分の必要なもの、要求、欲望を認識し、彼が達成できる最善のことを試した。 自閉症の子供は内省的インテリジェンス障害を持つ個人の原型的な例であり、その子は自分を自身に任せることが出来ないかもしれない。同時にこのような子が音楽、コンピュータ、空間、メカニカルなど非人個人的領域で驚くほどの能力を示す。 内省的能力の進化的実証を手に入れることはより難しいが、本能的衝動で満足することを超える能力と関連性があるようである。この能力は生き残りの戦いに年中絶えず巻き込まれる生物において、ますます重要になっている。意識を司る神経系構造が自意識を形成される基礎を多分造るのであろう。 要約すれば、対人関係、内省的インテリジェンスの両才能はインテリジェンスとして認められる。両者とも個人として、また人類として重要な問題解決能力を特徴とする。対人関係インテリジェンスは他人を理解し、他人と働かせる。内省的インテリジェンスは人に自分自身を理解させ、自身と働かせる。個人の自己感において、人は対人関係と内省的要素の融合に遭遇する。確かに、自己感は人間の最高の発明の一つとして出現する−そして、それは人間に関する全ての種類の情報を表現するシンボルであり、同時に全ての個人が彼ら自身のために行う発明である (Gardner, 2006, pp8-18)。 新たに加えたインテリジェンス:Newly Identified Intelligence 博物学者的インテリジェンス:Naturalist Intelligence 博物学者的インテリジェンスが存在する根拠は驚くべき説得性がある。Charles DarwinやE. O. Wilsonのような生物学者, John James AudubonやRoger Tory Petersonのような鳥類学者はある生物を見分け、他の種から区別することに秀でている。高位の博物学者的インテリジェンスの持ち主は異なる植物、動物、山、雲の形状を生態的地位において、いかに区別するかを鋭敏に知っている。これらの力量は視覚上のものだけでなく、鳥の歌声、鯨の鳴き声など聴覚認識を伴う。オランダの博物学者Geermat Vermijは盲目で触感に頼っている。 8番目のインテリジェンスとして、博物学者的インテリジェンスは高い評価を得た。種(動植物分類上の)の一員としての実例を認識する核心能力がある。同種個体の認識や捕食動物を避けることによる生き残りの進化的歴史もしばしば、ある。幼児は博物学者的世界の区別を容に行える−5才位の子が両親や祖父母より上手に恐竜種の区別をする。文化的、または脳科学的レンズを通して博物学者的インテリジェンスを調べると興味深い現象に焦点を当てることが出来る。発達した今日の世の中で、殆どの人は直接的に博物学的インテリジェンスに頼らない。直接、食料雑貨店に行くか、電話か、インターネットで注文する。しかし、全消費者の文化は博物学的インテリジェンスに基づいている。それは、他の車より、ある車に引き付けられ、他のものより、あるスニーカーや手袋を選ぶ時、我々が展開する力量も含む。 人の脳の損傷に関する研究では、無生物を認識し名前を付すことが出来るが、生物を見分ける力量を失うという興味深い実例がある。それほど頻繁ではないがこの反対のパターンにも遭遇する。生物を認識し、名前をつけることが出来るが、人工の物を見分けることが出来ない。これらの能力は異なる認識メカニズムと異なる経験的ベース(我々は生き物の場合と無生物オブジェクトやツールの場合とでは大いに異なる相互作用をする)を必要とするのかもしれない(ユークリッド幾何学は加工品の世界で働き、自然の世界では働かない)(Gardner, 2006, pp18-19)。 W. Intelligences and Domains 定義について。インテリジェンスは計算(処理)能力である。例えば高い音楽インテリジェンスを持つ人はメロディーを覚え、リズムを再生し、作曲の中で起こる変化をたどることが易しい。 ドメイン:domain(ドメインを端的にいうと、学問分野、特殊技術(のいる職業))はある社会の中の組織的活動の種類で、その中で人は専門知識の観点から、個人をすぐに列挙することが出来る。社会における、ちらっと見られるドメインの纏まったものは、どんな職業のリスト(電話帳のイエロー・ページに見るように)または、教育関係では、コース/講義カタログからも集められる。 インテリジェンスとドメインが同じ名前を共有する場合があり、混乱が起きる。音楽インテリジェンスがあり、音楽のドメインがある。論理-数学インテリジェンスがあり、論理、数学や科学のドメインがある。インテリジェンスとドメインの間に一対一の布置が得られそうに見える。しかしそうではない。音楽のドメイン−もっと特定して、音楽演奏の例を挙げる−は幾つかの数のインテリジェンスを含む。マスタークラスのピアノを一度分析したところ、活動中の6つのインテリジェンスが見つかった。同じように言語インテリジェンスのように特定のインテリジェンスは演説者から、ジャーナリスト、詩人の範囲の職業における仕事中に見ることが出来る。20世紀の前半には、言語学者の職業は言語を学ぶことに才能がある個人によって占められていた。Noam Chomskyの研究により、認知・言語革命が先導された後、言語スキルは重要度が減り、論理‐数学的スキルや論理学者関係が重視された。 簡潔に言うとインテリジェンスは生物心理学上の構成概念であり、ドメインは(学問分野、特殊技術)は社会学的構成概念である。疑いなく人類が持つインテリジェンスの種、我々が開発するドメインの種類そして、いかにこれらのインテリジェンスとドメインが互いに布置しあうか、の間には興味深い関係がある。しかし、これら2種の要素混ぜることは解析上紛らわしい。そして教育者がこの区別を知らないことは嘆かわしい。それは教師が「Johnnyは空間知性がないから、幾何を学べない」と言う様な状況に導く。空間知性は幾何を学ぶために助けになるが、幾何を習得するには一方法以上、もっと多くの学び方がある。あらゆる幾何の教師が面している課題は、いかに学生に教え、実行させ、証明/証拠を理解させるかであり、彼らの空間インテリジェンスが標準に達しているかどうかではない(Gardner, 2006, pp31-32)。 X 理解へのマルティプル・エントリー・ポイント: Multiple Entry Points to Understanding 前の章で、各個人は異なる学び方をし、異なる知性的構成と傾向を示すことに関して豊富な根拠を用意した。もし我々がこれらの相違を無視し、全ての学生に同じコンテンツを同じように教えることを主張するならば、きっとMI理論の全体構成を取り壊すことになるだろう。 まず、MI理論は既に恐るべき教育の仕事を与え、さらにもっと難しくしようするかに見える。結局、もし一人一人全てが殆ど同じ能力を示し、殆ど同じように学べばそれが大いに願わしい。そして、確かに、一クラス30人の学生と1日に4-5クラスを担当する教師にとって、個々に扱う授業の見通しは気が遠くなるように見えるかもしれない。しかし個人間の相違は明らかに存在し、個人自身特有な知性の構成は必然的に人生における彼または彼女の発達歴や目標の達成に影響するので、これらの条件を無視することは虐待である。 一人の教師が膨大な量の教材を学校でカバーしようとする限り、マルティプル・インテリジェンスの見地からのニュアンスを持つ教育をすることは事実上不可能である。しかし、一旦教師が理解のために教え、テーマをかなりの時間をかけて精査することを決心すれば、実際に認知プロファイルにおける個人差の存在を味方にすることが出来る。 教える価値があるどんなに豊かな、深みのあるテーマや概念でも、MIを参照して、少なくても7つの異なる方法で近づくことが出来る。そのテーマを少なくとも7つの入り口を持つ一つの部屋と考えることが出来る。どのエントリー・ポイント(EP)が最も適しているか、一旦部屋へ近づく道が分かった時、どのルートに従うことが最も心地良いかは学生により異なる。EPの認識は先生が新しい教材を導入する時、学生達に容易に理解させる助けとなる。そして、学生が他のEPも探究すると彼らは複数の観点を発展させることが出来、固定概念を矯正する最良の手段となる。 これらの7つのEPを見ながら、各々の入口が、自然科学のテーマ「進化論」や社会科学のテーマ「民主主義」にとりかかる時にどう使われるかを示そう。 説話的EP : Narrational Entry Point 説話的EPを使い問題の概念について話をする。進化論の場合、進化の系図の一枝、ある特定の生物の世代を辿るだろう。民主主義の場合、古代ギリシャまたは、アメリカの立憲政治の始まりに関する話をするであろう。 論理的EP: Logical Entry Point: 論理的EPを使う時は構成された議論を通して概念にとりかかる。ダーウィンは人類があまりに混みすぎ、質が低下した土地において継続して生存するために戦う時に人類に起る問題を類推して進化論に達した。民主主義は人民または選ばれた代表者を含み、決定をする統治の形である。 数量的EP:Quantitative Entry Point 数量的EPは数量や数量関係を扱う。ダーウィンはガラパゴス諸島 ((エクアドル西方の太平洋上))の【鳥】アトリ科の異なる種別の異なる数量を観察したときに進化論的な問題を熟考し始めた。議会の投票パターンの調査は民主主義制度の動き方または、問題への陥り方を明らかにする。 根拠的EP: Foundational (or Existential) Entry Point 根拠的EPは概念の哲学的、術語学的面を吟味する。基本的な<何故(why)>のような質問をしたがる幼い子供を連想させる人々や、より実際的(またはより中年)精神をもつ哲学者に向いている。進化論への根拠的な取りかかりは進化論と大変革の間の違いを考慮することであり、我々が根源と変化を見出す理由であり、目的論と終局の認識論的状態である。民主主義への根拠的取りかかりは言葉の語根を熟考することであり、他の意思決定や政府の形と民主主義の関係、国が寡頭制(権力が少数者に集中している支配体制)より、むしろ民主主義を採用する理由である。哲学者Matthew Lipmanは中学生の根拠的アプローチの導入用教材を開発した(Lipman, Sharp, & Oscanyan, 1990) 審美的EP:Esthetic Approach ここで方向を変えて審美的入口について考える。ここでは生活経験に対して芸術的スタンスを好む学生の心に訴え、掴むだろう知覚や外観上の特徴に重きを置く。進化論の場合、異なる進化の系図の構造調査や、生物の時間によって変化する形態の研究は、審美的感性を活性化するだろう。民主主義に関しては、ある好奇心をそそる入口はグループかまたは個人に支配された演奏で音楽アンサンブルを聴くことだろう−弦楽四重奏対オーケストラ。特に珍しくはないが、異なる選挙区に要約された色々なバランスのとれた形や失った形を検討することも一例である。 経験的EP:Experiential Approach ある学生は−年齢に関係なく−概念を具体的に表すか、伝える材料を直接に扱い、実際に参加すること(hands-on)で一番よく習得する。進化論の概念を習得することに心を傾けた学生達はショウジョウバエの何世代かを養殖し、そこに起きる突然異変を観察するかもしれない。今日もちろんそのような再生はコンピュータ・ソフトウエアで模擬実験することも出来る。社会学クラスでは色々な政府プロセスに応じ意思決定しなければならないグループを実際に作り、他の政府の形式と比較し、代議制民主主義の賛否を観察することが出来るであろう。 共同制作EP:Collaborative Approach このEPは学生間の共同制作の入口である。近年良く設計されたグループ・ワークの利点が明示されてきた。他の学生と心地よく勉強するはグループ・プロジェクト、討論、ロール‐プレイ、ジグ・ソウ活動−その中で各自がグループ内で特別の差異を示す貢献をする。討論が好きな学生はT. H. HuxleyとSamuel Wilberforceの有名な討論を再現することが出来る。前述のように学生は色々な形の民主主義−直接、代議制、タウン・ミーティング−を模擬することが出来る−そして各々の自由選択の強みや限界がわかる。 EPとその活用効果 公式的に言うと「熟練した先生とは、同じ概念(コンセプト)に異なる複数の窓を開けることが出来る人である」となる。例えば、進化論や民主主義を単に定義や、単に例や、単に数量的考慮だけで述べるのではなく、このような先生は時間をかけて数個のEPを有用にする。精鋭な先生は「カリキュラム・ブローカー」として機能し、教育的ツール−色々な学習モードを示す学生に出来るだけ興味を引き効果的な関連コンテンツを伝えることを助ける教科書、映画、ソフトウェア−に気を配っている。 複数のEPを使うことは学生の誤解、偏見や固定概念に対処するために強力な手段となることは明白である。学生があるコンセプトや問題についてただひとつの展望を得る限り、もっとも限られた、厳密な、融通のきかない方法でコンセプトを理解するであろう。逆にある現象に対して一群のスタンスを採用することにより、学生は一方法以上で現象を知ることになり、複数の表象を発達させ、これらの表象を次から次へと関連付けることを求めようとする。 マルティプル・エントリー・ポイントはさらにふたつの長所を持つ。まず、ひとつ以上の方法でテーマに取りかかることで、教師はより多くの学生と触れることになる。ある学生は説話を通して、ある学生は芸術作品を通してよりよく学ぶ。ある学生は数量的EPを通して科学を、根拠的EPを通して詩をよりよく学ぶ。 次にマルティプル・エントリー・ポイントの使用は専門家の知識を持つとはどういうことかを伝える一番良い方法である。専門家とは彼(彼女)の専門知識を色々な方法−口頭描写、グラフィック・スケッチ、行動による具体的表現、ユーモアのある演出など等−で考えることが出来る個人である。主たる概念についての異なる表象と出会い、これらの概念について考える機会を持つ時、学生は専門家の頭脳的な雰囲気を相伴できる(Gardner, 2006, pp139-142)。 −私は4つの要素の主張によりある程度の焦点を提供しようと思う。 1)理解に連動する教育の目標 2)理解の遂行作業(performances of understanding)の奨励に重きを 置くこと、それは脈絡を主として評価されること。 3)異なる個人の強み(複数)への認識 4)各学生の教育において、これらの要素を動員することへの約束 これらの異なる要素を継ぎ目ない教育訓練の中に入念に準備することは容易な仕事ではない。しかし、その進展がなされ、人類としての共通の遺産、我々がやって来た特定の文化的背景、そこにおいて、我々一人一人は独自の個人であるその道をほめたたえる教育を守ることが出来ると感じることができる(Gardner, 2006, pp144-145)。 −あとがき ご一読頂くことで、MI理論−「理解のための教育」(TfU)の繋がりと両者の存在意義がより明確になってくれば幸いです。ここでは、個人の知性の開発を中心に話を進めていますが、ガードナー教授は、共著Good Workの中で “Character is more important than intellect.”-Ralph Waldo Emerson- を参照し、「人格は知性より、もっと重要である」と述べています。 References 上條雅雄「コミュニケーションにおける理解」『メディアと文化』第3号(名古屋大学国際言語文化研究科、2007):89-101 ハワード・ガードナー・松村隆訳『MI:個性を生かす多重知能の理論』(新曜社, 2001)(Intelligence reframed: Multiple Intelligences for the 21st century) トーマス・アームストロング『マルチ能力が育む子どもの生きる力』吉田信一郎訳 (小学館、 2002) Gardner, H. (1983). Frames of mind: The theory of multiple intelligences. New York: Basic Books. Gardner, H. (1993). Multiple intelligences: The theory in practice. New York: Basic Books. Gardner, H. (1993). “Choice Points” As Multiple Intelligences Enter The School. News letter of the ASCD Network on Teaching for Multiple Intelligences. Gardner, H. (1999). Intelligence reframed: Multiple Intelligences for the 21st century. New York: Basic Books. Gardner, H. (2006). Multiple intelligences: New Horizons. New York: Basic Books (080131MK) |